牧村 (岐阜県安八郡)
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まきむら 牧村 | |
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廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
合併 牧村、名森村、結村 → 安八村 |
現在の自治体 | 安八町・大垣市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 安八郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 2.13 km2. |
総人口 |
1,530人 (1955年) |
隣接自治体 | 岐阜県大垣市、安八郡名森村、輪之内町 |
牧村役場 | |
所在地 | 岐阜県安八郡牧村牧字善根分1720-22 |
座標 | 北緯35度19分34秒 東経136度38分57秒 / 北緯35.32608度 東経136.64917度座標: 北緯35度19分34秒 東経136度38分57秒 / 北緯35.32608度 東経136.64917度 |
ウィキプロジェクト |
歴史
[編集]- 地名の「牧」は「馬を置く場所」であったことに由来して古くは「馬置」と書き、源義経に良馬を献上した縁で「牧郷」の地名を与えられたと伝えられる[1]。現在は揖斐川対岸で大垣市となっている「馬之瀬」は元々牧村の枝郷として成立した村で、「馬を洗う川の瀬」を由来とする[1]。
- 江戸時代末期、美濃国安八郡牧村は犬山藩領であった。
- 明治に行われた木曽三川分流工事で村内に新揖斐川が通されるまで、現在揖斐川東岸にある牧地区(現・安八町牧)と西岸にある馬瀬地区(現・大垣市馬の瀬町)は揖斐川の中州にあった1つの輪中内に存在した[1]。分流工事で両地区が東西に分断されると、村内の交通手段として「牧の渡し」が設置される。
年表
[編集]- 1884年(明治17年) - 牧村と馬瀬村で組合役場を開設。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制により、牧村が発足。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 牧村、馬瀬村と合併し、牧村が発足。
- 1929年(昭和4年)1月 - 犀川事件が発生。これに先立ち同月7日に村長が辞職[2]。
- 1948年(昭和23年)
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 名森村、結村と合併し、安八村が発足[3]。同日牧村廃止。
学校
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c “『水』にまつわる地名の由来について【安八町編】” (PDF). 国土交通省 中部地方整備局. 2023年4月12日閲覧。
- ^ 切り落とし工事に反対、七町村長ら辞職『東京日日新聞』昭和4年1月8日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p85 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ “岐阜県統計書(平成30年)” (pdf). 岐阜県. p. 6. 2020年9月4日閲覧。