清水透 (歴史学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。新家 (会話 | 投稿記録) による 2015年12月28日 (月) 07:15個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

清水 透(しみず とおる、1943年 - )は、日本歴史学者慶應義塾大学名誉教授。

来歴

長野県松本市出身。1966年、東京外国語大学スペイン語学科卒。1968年、同学大学院ロマンス系言語専攻修士修了。1976年、メキシコ大学院大学のエル・コレヒオ・デ・メヒコ歴史学研究科博士課程修了。東京外国語大学スペイン語学科教授、獨協大学外国語学部教授、フェリス女学院大学国際交流学部教授をへて、慶應義塾大学教授。2009年定年退職。

1993年、当時大学生で21歳だった娘清水真帆の白血病発病を機に、骨髄バンク普及啓発のための大学・市民ネットワーク「Maho-NET21」を立ち上げ、2005年までその活動を続けた。真帆は日本骨髄バンクを通じた骨髄移植を受けることができたが、惜しくも再発により1995年2月に逝去。真帆の没後も清水は骨髄バンクのためのボランティアを続け、骨髄移植推進財団の普及広報委員長を勤めたこともある。1997年には骨髄バンク宣伝の四国一周自転車ラリー「ツール・ド・空海」に一選手として参加し、完走した。この経緯は秦野純一(三土修平のペンネーム)著『椿の咲く日まで - 骨髄バンクと土佐清水の仲間たち』(日本評論社、2002年)に紹介されている。

研究・思想

研究領域は、ラテンアメリカ社会史、オーラル・ヒストリーなど。1979年からメキシコ南部チアパス州チャムーラ村でのフィールドワークを行ない、サン・クリストバルの歴史を研究した。その成果が著書『エル・チチョンの怒り』にまとめられている。また、メキシコ革命をめぐるインディオの生涯を追った『コーラを聖なる水に変えた人々』を人類学者のリカルド・ポサスとの共著で発表した。フィールドワークを始めたきっかけとして、文字史料から見える歴史の限界、留学中に出会った歴史家が、彼ら自身の歴史観と乖離する生活を送っていたのを見た点などをあげている。

主な著作

単著

共著

編著

  • 『<他者>との遭遇』 青木書店、1992年。
  • 『ラテンアメリカ―統合圧力と拡散のエネルギー』 大月書店、1999年。

翻訳

外部リンク