清水宗知

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清水 宗知(しみず むねとも、生年不詳 - 天正10年6月4日1582年6月23日))は、戦国時代の武将。備中国国人清水宗則の子、子に清水行宗。弟は清水宗治。通称は左近将監。入道後の月清の名で知られている。

生涯

備中の国人であった清水宗則の長男として生まれる。庶子であったのか、清水家の家督は弟の宗治が継いでいる。しかし宗知も、その勇猛さでは弟に負けておらず1568年立花鑑載の反乱でも、鑑載の支援の将として九州に渡海し、大友氏と戦っている。

天正10年(1582年)の備中高松城の戦いでは、弟の宗治と共に備中高松城に入り防備を固めた。しかし敵将・羽柴秀吉の水攻めという奇策に遭い、最終的には兵士の助命を条件に、弟の宗治ともども切腹した。

関連項目