淑嬪崔氏

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淑嬪 崔氏
各種表記
ハングル 숙빈 최씨
漢字 淑嬪 崔氏
発音 スッピン(スクピン)・チェシ
日本語読み: しゅくひん・さいし
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淑嬪 崔氏숙빈 최씨、スッピン(スクピン)・チェシ、1670年 - 1718年)は、李氏朝鮮の第19代国王粛宗の嬪(朝鮮王の側室の最上位)。 第21代国王英祖の生母。後日、諡号を受けて和敬淑嬪と言われたりもする。

生涯

本貫は海州。後日、領議政を追贈された崔孝元の娘として、1670年に生まれた。宮廷のムスリ出身(雑事を担当する下女)として知られている。1689年仁顕王后閔氏が廃位され、禧嬪張氏が王妃となった後、粛宗の寵愛を受けて承恩尚宮(正確な時期はわかっていない)になり、粛宗19年(1693年4月)に淑媛(従四品相当)になる。その年、王子を産むが、2ヶ月で亡くなる。仁顕王后が復位された年(1694年)の9月13日、延君()、後の朝鮮の21代国王の英祖を産んだ。同じ年(1694年)に、淑儀(従二品相当)となる。粛宗21年(1695年)に貴人(従一品相当)になり、粛宗25年(1699年)には、朝鮮第6代国王端宗の復位(粛宗24年)を祝い、淑嬪(正一品相当)に封じられた。粛宗44年(1718年)、病気になり49歳で死去。

家族

  • 夫:粛宗
    • 長男(早夭,無封君)
    • 次男:英祖
    • 三男(早夭)

淑嬪崔氏を演じた俳優

脚注