沖田林太郎

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沖田林太郎(おきたりんたろう 文政10年(1827年)- 明治16年(1883年))は幕末新徴組隊士。妻は沖田みつ新選組一番組長沖田総司の義兄。諱は房政。

八王子千人同心の井上家に生まれる。近藤周助の門人となって天然理心流剣術を学び免許を得た。

弘化3年(1846年)、沖田みつと結婚して沖田家の家督を継ぐ。嘉永6年(1853年)、長男芳次郎が生まれる。

文久3年(1863年)、浪士組近藤勇、沖田総司とともに参加。三番組(小頭新見錦)に属してへ上る。浪士組の帰東に際して近藤勇ら天然理心流一門は京に残留するが、林太郎はこれに加わらず江戸へ帰る。後に浪士組は新徴組に改編されて庄内藩御預かりとなり、江戸市中警護に当たった。林太郎は組頭を務めている。

慶応4年(1868年)、江戸幕府が消滅すると庄内藩主酒井忠篤は帰国することになり、林太郎もこれに同行した。

明治5年(1872年)、東京へ戻る。明治16年(1883年)、死去。