汝平和を欲さば、戦への備えをせよ
「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」(なんじへいわをほっさば、いくさへのそなえをせよ、Si vis pacem, para bellum)は、ラテン語の警句である。通常、「peace through strength」、すなわち「敵に攻撃される可能性の少ない強い社会」を意味すると解釈される。
出典
この格言の出典は明らかになってはいない[1]。 しかし一般的には、ローマ帝国の軍事学者ウェゲティウスの Igitur qui desiderat pacem, praeparet bellum. から引用されたものだとみなされている[2]。 390年ごろに書かれたとされる彼の論文「軍の問題に関して( Epitoma rei militaris )」に基づく数多くの格言の1つだと言われる。 この句が書かれているのは、軍事行動において準備を万全にしておくことの重要性を強調し、単なる偶然や数の優勢に頼ることをいましめた一節である。
- 「したがって、平和を願う者は、戦争の準備をせねばならない。勝利を望む者は、兵士を厳しく訓練しなければならない。結果を出したい者は、技量に依って戦うべきであり、偶然に依って戦うべきではない[3]。」
現代における解釈
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/43/Andrea_Appiani_001.jpg/220px-Andrea_Appiani_001.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/96/9mmLuger.jpg/220px-9mmLuger.jpg)
いずれにしろ、格言はそれ自体が独立して活用されるようになり、いくつかの言語に翻訳されて、さまざまな考えを表すのに使われるようになった。ウェゲティウスの実際の言葉を、多くの著作家は認めてさえおらず、彼らは、格言は直接彼のものであると考えている。
Si vis bellum para pacem
例えば、ナポレオン・ボナパルトの外交政策に関して、歴史家のブーリエンヌは次のように述べている[4]。
- 「誰しもが格言を知っている……ボナパルトはラテン語学者であり、おそらく格言を逆さにして……Si vis bellum para pacem. と言ったのであろう。」
戦争をしようというのであれば、平和をはぐくむことで他国を油断させねばならない、という意図であろう。 逆に言えば、平和に備えることは戦への道につながるとも言えるのである。
Si vis pacem para pactum
軍備によって軍事力を阻止し、平和を確保しようという考え方は、20世紀に不吉な転機を迎えた。 おそらく単に準備するだけでは充分ではなかったのだろう。 戦争を阻止するためには、戦争をすることが必要になったのである。 アンドリュー・カーネギーに統轄された1907年の National Arbitration and Peace Congress では、この問題について取り上げている。
- 「これら陸海の巨大な軍備は、戦争を行う手段ではなく、戦争を防ぐ手段である……より安全な道もある……必要なのは政府の承認と親善だけだ。昨今、平和を望むなら軍備を、と言う。この議会は、人々のために言う、Si vis pacem, para pactum、平和を望むなら、平和維持に賛同してください[5]。」
脚注
- ^ 例えばダフ(Duff ,1899 )は、起源が明らかでないからと「それらしい」古典の著書を羅列し、「もっともふさわしいのはウェゲティウスだ」と記述している。
- ^ Book III, prologue, end.
- ^ "Igitur qui desiderat pacem, praeparet bellum; qui uictoriam cupit, milites inbuat diligenter; qui secundos optat euentus, dimicet arte, non casu." The Latin Library
- ^ De Bourrienne, p.418.
- ^ Bertholdt,p.333
外部リンク
- “si vis pacem, para bellum”. Merriam-Webster OnLine. 2007年8月16日閲覧。