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毅宗(きそう、1127年 - 1173年)は第18代高麗王(在位:1146年 - 1170年)。姓は王、諱は晛。諡号は毅宗剛果荘孝大王。初名は徹。
治世
仁宗と恭睿太后任氏の長男に生まれ、1146年に即位した。太子の時、王になるには能力が不足だと母后に思われ、廃太子も考えられていた。王になってからも、遊戯を楽しんで政治を関心を持たず、文臣を優遇して武臣をぞんざいに扱ったため、武臣らの不満が高まった。また、寵愛した宦官たちの専横を見逃したために、しばしば宦官が政治に関与した。
1170年8月、武臣の鄭仲夫、李義方が反乱を起こし、文臣や宦官たちを刺殺し、毅宗と太子を島流しにして、毅宗の弟の明宗を王位に就けた。以後、約100年にわたって武臣政権が続いた(1170年 - 1268年)。
1173年、武臣政權に反感を持っていた金甫當が反乱を起こし、毅宗復位運動をしたが失敗し、
毅宗は同年殺された。
家族
- 王后
- 荘敬王后金氏 - 孝霊太子、敬徳公主、安貞公主、和順公主の母。
- 荘宣王后崔氏
- 子女
- 孝霊太子 - 1153年に太子に冊封されたが、1170年に反乱軍によって島流しにされた。
- 敬徳公主
- 安貞公主
- 和順公主
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高麗王 |
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追封王 | |
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