武石胤盛
武石 胤盛(たけいし たねもり、久安2年(1146年)-建保3年6月13日(1215年7月11日))は、平安時代末期・鎌倉時代前期の武士。千葉常胤の3男。母は秩父重弘の娘。武石氏(後の亘理氏)の祖。
経歴
下総国千葉郡武石郷(現在の千葉県千葉市花見川区付近)を領したことから、「武石三郎」を称する。源頼朝が挙兵をすると、父とともにこれに従い、木曾義仲・平家・奥州藤原氏と戦った。奥州合戦の後、父の常胤が頼朝から恩賞として受けた陸奥国の所領のうち、宇多郡・伊具郡・亘理郡の一部を譲られた。
子孫は拠点を亘理郡に移し、暦応2年/延元4年(1339年)頃に「亘理」を称し、武石に残った系統は千葉氏・里見氏に仕えたとされている。
参考文献
- 岡田清一「武石胤盛」(安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』(新人物往来社、1990年 ISBN ISBN 978-4-404-01757-4)
- 野口実「平胤盛」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7)