武石胤盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。水野白楓 (会話 | 投稿記録) による 2012年8月5日 (日) 01:32個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (新しいページ: ''''武石 胤盛'''(たけいし たねもり、久安2年(1146年)-建保3年6月13日 (旧暦)1215年7月11日))は...')であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

武石 胤盛(たけいし たねもり、久安2年(1146年)-建保3年6月13日1215年7月11日))は、平安時代末期・鎌倉時代前期の武士千葉常胤の3男。母は秩父重弘の娘。武石氏(後の亘理氏)の祖。

経歴

下総国千葉郡武石郷(現在の千葉県千葉市花見川区付近)を領したことから、「武石三郎」を称する。源頼朝が挙兵をすると、父とともにこれに従い、木曾義仲平家奥州藤原氏と戦った。奥州合戦の後、父の常胤が頼朝から恩賞として受けた陸奥国の所領のうち、宇多郡伊具郡亘理郡の一部を譲られた。

子孫は拠点を亘理郡に移し、暦応2年/延元4年(1339年)頃に「亘理」を称し、武石に残った系統は千葉氏里見氏に仕えたとされている。

参考文献

  • 岡田清一「武石胤盛」(安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』(新人物往来社、1990年 ISBN ISBN 978-4-404-01757-4
  • 野口実「平胤盛」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7