横井也有

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。ZéroBot (会話 | 投稿記録) による 2012年3月21日 (水) 00:40個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (r2.7.1) (ロボットによる 追加: fr:Yokoi Yayū)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

横井 也有(よこい やゆう、元禄15年9月4日1702年10月24日) - 天明3年6月16日1783年7月15日))は、江戸時代武士国学者、俳人

経歴

『國文学名家肖像集』(1939年)より

元禄15年(1702年)、尾張藩士横井時衡の長男として生まれ、本名は時般(ときつら)、幼名は辰之丞、別号永言斎・知雨亭、通称は孫右衛門と言った。横井氏北条時行の流れを組む家柄と称する。

26歳にして家督を継いだ後は用人、大番頭、寺社奉行など藩の要職を歴任。武芸に優れ、儒学を深く修めるとともに、俳諧は各務支考の一門である武藤巴雀太田巴静らに師事、若い頃から俳人としても知られ、俳諧では、句よりもむしろ俳文のほうが優れ、俳文の大成者といわれる。多芸多才の人物であったという。

宝暦4年(1754年)、53歳にして病を理由に隠居した後は、前津(現在の中区前津1丁目)の草庵・知雨亭に移り住み、天明3年(1783年)に82歳で没するまで、俳文、漢詩和歌狂歌茶道などに親しむ風流人として暮らした。

著作

  • 鶉衣(俳文集)
  • 蘿葉集・垤集(句集)
  • 漏桶(連句集)
  • 管見草(俳論)
  • 蘿隠編(漢詩文)
  • 行々子(狂歌集)

「鶉衣」に記された也有の句のひとつ「化物の正体見たり枯尾花」は「幽霊の正体見たり枯尾花」と変化して広く知られている。

関連項目

外部リンク