桑山貞晴 (小傳次)
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 永禄3年(1560年) |
死没 | 寛永9年7月7日(1632年8月22日) |
改名 | 重長、貞晴 |
別名 | 小傳次、宗仙(通称)、洞雲(号) |
墓所 | 神奈川県鎌倉市山ノ内の建長寺天源庵 |
官位 | 従五位下左近大夫 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 豊臣秀長、秀吉、(秀頼)、徳川家康、秀忠、家光 |
氏族 | 桑山氏 |
父母 | 桑山重晴、斎藤吉兵衛娘 |
兄弟 | 一重、元晴、貞晴 |
子 | 貞頼、貞利、貞勝、貞寄、仁賀保誠政室 |
桑山 貞晴(くわやま さだはる)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、茶人。官位は従五位下・左近大夫。同名の甥桑山加賀守貞晴がおり、区別して桑山小傳次あるいは桑山左近大夫とも書かれる。片桐石州は貞晴の門下にあたり、茶人としては宗仙を名乗った。号は洞雲。
生涯
桑山重晴の三男として誕生。
始め豊臣秀長に仕え、大和国内に2,500石を与えられた。秀長死後は豊臣秀吉に仕えた。1592年、文禄・慶長の役には甥(兄桑山一重の子)桑山一晴と共に出陣。水軍を指揮した。
次いで徳川氏に仕え、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは東軍に従って和歌山において父・重晴と共に戦功をあげた。元和元年(1615年)、大坂夏の陣でも同じく徳川方で、道明寺の戦いで丹羽氏信らと共に薄田兼相の軍勢と交戦した。
また千道安、古田織部から茶の湯について学んだ茶人でもあり、宗仙と名乗って晩年は千利休の茶風を後世に伝える役目を果たした。
参考文献
- 近藤安太郎『系図研究の基礎知識 : 家系にみる日本の歴史 第3巻 (近世・近代)』近藤出版社、1989年。ISBN 477250267X。