柳煥吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。42.98.216.230 (会話) による 2020年7月12日 (日) 14:18個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

柳煥吉
基本情報
本名 柳煥吉
階級 スーパーフェザー級
身長 168cm
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
誕生日 (1962-09-23) 1962年9月23日
出身地 慶尚南道南海郡
死没地 (2009-04-21) 2009年4月21日(46歳没)
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 31
勝ち 26
KO勝ち 11
敗け 2
引き分け 3
無効試合 0
テンプレートを表示

柳 煥吉リュ・ファンギル朝鮮語: 류환길英語: Hwan-Kil Yuh1962年9月23日 - 2009年4月21日)は、大韓民国の元プロボクサー慶尚南道南海郡出身。初代IBF世界スーパーフェザー級王者。

来歴

1979年3月18日、柳煥吉はプロデビューを果たし4回判定勝ちを収めた。

1979年9月9日、金容煥と対戦するが、連勝がストップする引き分けに終わった。

1980年3月24日、金賢と対戦し引き分けに終わった。

1980年11月15日、李容泌と対戦し引き分けに終わった。

1980年12月19日、安鉉と対戦し、初敗戦となる10回判定負けを喫した。

1981年6月7日、松島孝一と対戦し7回KO勝ちを収めた。

1981年12月6日、OPBF東洋太平洋フェザー級王者黄正漢と対戦し、12回判定勝ちを収め王座獲得に成功した。

1982年4月11日、スーバン・ムアンスリンと対戦し、12回判定勝ちを収め初防衛に成功した。

1982年6月13日、前OPBF東洋太平洋フェザー級王者黄正漢と6カ月ぶりの対戦を行い、12回判定勝ちを収め2度目の防衛に成功した。

1982年8月29日、ダヴィノ・イノシアンと対戦し12回判定勝ちを収め3度目の防衛に成功した。

1983年7月24日、レイ・タヤバンと対戦し7回KO勝ちを収めた。

1984年1月29日、エディー・カメロと対戦し6回KO勝ちを収めた。

1984年4月22日、ソウルIBF世界スーパーフェザー級初代王座決定戦をOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者ロッド・セケナンと行い、15回2-1の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。

1984年9月16日、サク・ギャラクシーと対戦し、6回KO勝ちを収め初防衛に成功した。

1985年2月15日、メルボルンのフェスティバル・ホールでレスター・エリスと対戦し、15回1-2(142-145、143-147、147-144)の判定負けを喫し2度目の防衛に失敗し、王座から陥落した。

1985年11月17日、元OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者文泰鎮と対戦し、10回判定勝ちを収めた試合を最後に現役を引退した。

引退後は飲食店を経営していたが、2006年に交通事故に遭って手足が不自由となった。2009年4月21日に3年の闘病生活の末、事故の傷が元で死去した[1]。46歳没。

獲得タイトル

脚注

  1. ^ 전 세계복싱 챔피언 류환길 별세 聯合ニュース 2009年4月22日(朝鮮語)

関連項目

外部リンク

前王者
N/A
IBF世界スーパーフェザー級王者

1984年4月22日 - 1985年2月15日

次王者
[[レスター・エリス]]