枝見太朗

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枝見 太朗(えだみ たろう、昭和32年(1957年)6月7日-)は、日本の福祉活動家。

経歴[編集]

東京都出身。国際商科大学(現、東京国際大学商学部中退。日本テレビ勤務を経て福祉活動家となり、2000年財団法人富士福祉事業団理事長に就任。1996年公益社団法人東京青年会議所理事長(任期1年)。社会福祉法人東京都社会福祉協議会理事、東京ボランティア・市民活動センター運営副委員長を兼務。2011年全国社会福祉協議会主催、第20回全国ボランティアフェスティバル TOKYO 実行委員長。

東京都北区協働地域づくり推進事業選定委員会・委員長。 調布市市民活動支援センター開設準備委員会・座長。 公益財団法人 冨士霊園 評議員。 プラットフォームサービス株式会社 顧問。 岩手県釜石市 復興アドバイザー・地方創生アドバイザー。 国分寺市社会福祉協議会 ボランティア活動センターこくぶんじ運営委員会・委員長。東京都江東区区民協働推進会議 会長。

明星大学「ボランティア論」非常勤講師。

2023年6月 一般財団法人富士福祉事業団 理事長を退任。

2023年7月 社会福祉法人東京都共同募金会 常務理事・事務局長に就任。

1983年インド・ボンベイ(ムンバイ)でマザー・テレサと出会い師事、日本におけるマザー・テレサ支援のボランティア・コーディネーター、スポークスマンの役割を果たす。500人以上の日本人とマザー・テレサの面会をサポート。カルカッタ(コルカタ)への訪問は60回以上。マザー・テレサに関する講演多数。

1991年、元暴走族少年院帰りの少年を主人公にした安部譲二原作『泣きぼくろ』の映画製作をした[1]

1998年全国公開アニメーション映画「ゼノ・かぎりなき愛に」プロデューサー。

著書[編集]

  • 『非営利型株式会社が地域を変える―ちよだプラットフォームスクウェアの挑戦―』
  • 『わたしはマザーに会った~20人が語るマザーテレサのすがた』(共著)
  • 『よみがえれ釜石・官民連携による復興の軌跡』

脚注[編集]

  1. ^ 『泣きぼくろ』(1991年9月28日、配給松竹富士[1]