松浦脩

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松浦 脩
松浦脩
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 天保3年1月15日1832年2月16日
死没 明治39年(1906年)4月
改名 幼名:勇三郎→脩
官位 従五位下豊後守、従五位上・左近衛将監
幕府 江戸幕府
主君 徳川家慶家定家茂慶喜
平戸新田藩
氏族 松浦氏
父母 父:松浦晧、母:不詳
兄弟 柳沢泰孝正室、松浦詮正室ら
正室:細川興建の娘
細川興嗣正室
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松浦 脩(まつら ながし)は、江戸時代後期から幕末にかけての大名肥前国平戸新田藩の第9代(最後の)藩主。第8代藩主・松浦晧の長男。

略歴

嘉永3年(1850年)8月21日、父晧の隠居により家督を継ぐ。同年12月16日、従五位下・豊後守に叙任する。文久3年(1863年)3月15日、幕府から本藩と共に対馬藩の支援を命じられる。同年8月、上洛し、孝明天皇に拝謁する。元治元年(1864年)7月、従五位上に昇進する。明治元年(1868年)10月、病気のために息子を上洛させることを新政府から許可される。明治3年(1870年)9月に本家の平戸藩と合併したため、平戸新田藩は廃藩となった。

明治14年(1881年)、隠居し、長男豊に家督を譲った。明治39年(1906年)4月、75歳で死去した。

系譜