松平直静
時代 | 江戸時代末期(幕末) - 大正時代 |
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生誕 | 弘化5年1月19日(1848年2月23日) |
死没 | 大正2年(1913年)12月13日 |
別名 | 直正 |
墓所 | 東京都府中市多磨町の多磨霊園 |
官位 |
従五位下、日向守、正五位、従四位、正四位、 従三位、正三位、子爵 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 越後糸魚川藩主→清崎藩知事 |
氏族 | 越前松平家 |
父母 |
父:松平斉韶、母:季遠姫(松平直恒の娘) 養父:松平直春 |
兄弟 | 慶憲、直正、直静 |
妻 |
正室:釣(松平直春の娘) 継室:安屋(松平直春の娘・佐竹義理養女) |
子 | 直幹、静徳、娘(柴田守正室) |
松平 直静(まつだいら なおやす)は、幕末の大名、明治時代の華族。越後糸魚川藩の第8代(最後)の藩主。福井藩越前松平家分家10代。子爵。
生涯
弘化5年(1848年)1月19日、播磨明石藩主・松平斉韶の七男として生まれる。安政5年(1858年)10月26日、越後糸魚川藩主だった松平直廉(松平茂昭)が本家の越前福井藩を継ぐこととなったため、既に隠居していた第6代藩主直春(直廉の父)の婿養子として糸魚川藩に迎えられて、跡を継ぐこととなった。
しかし若年のため、藩政は直春によって行われ、直静にはあまり表立った行動は無かった。文久2年(1862年)12月に叙任され、明治元年(1868年)に糸魚川藩を清崎藩と改称している。明治2年(1869年)6月24日、版籍奉還により清崎藩知事となり、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で廃藩となり、9月に東京へ移った。大正2年(1913年)12月13日に死去した。享年66。