東亜航空
東亜航空(とうあこうくう 英語表記:Toa Airways、略称:TAW)とは、かつて日本国内で定期旅客便を運航していた航空会社。1953年11月30日設立。後に合併し日本エアシステム(1964年4月15日設立)となる。
概要
- 創設は1953年11月30日で、南日本航空株式会社として設立された。代表取締役は松下俊夫。本社は広島県広島市八丁堀にあった。資本金は1,000万円(当時)。
- 拠点空港は、広島市中区吉島に当時の陸軍飛行場として建設された吉島飛行場だった。同飛行場の閉鎖により当時の広島空港(現広島西飛行場)に移転した。
- 乗務員、社員は主に太平洋戦争における日本軍のパイロットらによって構成されていた。
- 1971年資本金が27億円に増資された。
- 当初は、遊覧飛行や宣伝飛行のみを行っていたが、1956年に鹿児島-種子島線の免許を取得してから、徐々に路線を拡大し、広島・鹿児島・小倉・大阪・松山を中心とする路線で活躍した。
- 最終的に、1971年5月15日に日本国内航空と合併し、東亜国内航空(後の日本エアシステム) となり、 日本エアシステム→日本航空ジャパンは日本航空へ吸収合併し、企業として消滅した。
使用機材(回転翼機除く)
- デ・ハビランドDH104-1Bダヴ
- デハビランドDH114タウロン
- コンベアCV-240
- ビーチクラフトD-18(C-18S)
- ビーチクラフトC-50ツインボナンザ
- YS-11
- セスナ170B
- 東亜航空は多くのデハビランド DH.114 ヘロンを運用していたが、搭載エンジン(デハビランド社製ジプシークイン 30)の部品入手が困難になったことから、エンジンをアメリカ合衆国のコンチネンタルIO-470に換装する改造を行った。この機体を東亜航空は「タウロン(TAWロン)」と命名し運用していた。なお「TAWロン」とはTAW(東亜航空)+ヘロン」の合成語である。日本国内で航空会社自身でエンジンを交換したのは珍しいケースであった。
以前は数機のタウロンが日本で保存されていたが、その後解体され現在では東亜国内航空のJA6162機が広島県府中市上下町にある中元クリーニング工場屋上に鎮座しているのみである。