木元規矩男
木元 規矩男(きもと きくお、1905年11月1日 -1992年11月19日[1])は、日本の実業家、ラグビー選手。
概要
鹿児島県出身。旧制川内中学卒業後、明治大学に入学し、ラグビー部では後のラグビー日本代表監督となる知葉友雄とセカンドローを組み、活躍した。
卒業後は、毎日新聞社に入社し営業局長などを歴任した後、RKB毎日放送代表取締役副社長に就任した。
ラグビー界に於いては、大正12年の秋田県ラグビー協会の創設に関わった他、九州ラグビー協会会長などを務め、亡くなる際には、九州ラグビー協会への寄附により、高校生の新人大会と全九州7人制大会の優勝杯が作られ、どちらも「木元杯」として現在に至っている。
脚注
- ^ 毎日新聞1992年11月20日付け朝刊 31頁
参考
- 『"每日"の3世紀: 新聞が見つめた激流130年,』(2002 每日新聞130年史刊行委員会)