朝鮮文学家同盟
朝鮮文学家同盟 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 조선문학가동맹 |
漢字: | 朝鮮文學家同盟 |
日本語読み: | ちょうせんぶんがくかどうめい |
朝鮮文学家同盟(ちょうせんぶんがくかどうめい)は連合軍軍政期にソウルで結成された左翼系列の文学団体。
結成と目的
太平洋戦争終戦後に左翼系列の文学団体が相対的に穏健な朝鮮文学建設本部と強硬派が中心となった朝鮮プロレタリア芸術家同盟に両分したため、二つの団体の統合の動きが起こった。朝鮮文学家同盟は1945年12月6日に二つの団体が統合声明を発表し仮称朝鮮文学同盟として結成された。
正式に出帆したのは1946年2月8日からで、二日間にわたって開催された朝鮮文学者大会を通してであった。このとき、朝鮮文学同盟という名称に代わって朝鮮文学家同盟を使用することが決定された。
朝鮮文学家同盟の五大綱領は次の通り。
組織及び構成
朝鮮文学者大会を経て中央執行部委員長に洪命熹が選出され、部委員長に李箕永、韓雪野、李泰俊、書記長に権煥が選ばれた。しかし、実際には李箕永と韓雪野を中心とした朝鮮プロレタリア文学同盟系列の反発が残っており、南朝鮮労働党中心の朝鮮文学建設本部系列との葛藤が内在していた。
文学ジャンル別に小説部、詩部、評論部、戯曲部の委員会を置き、農民文学、児童文学、古典文学の委員会が設置された。朝鮮文学家同盟は朝鮮文化団体総連盟に加盟し、ソウル支部を始めとして各道に支部を建設し組織を拡大した。
活動及び解体
朝鮮文学家同盟は朴鍾和中心の中央文化協会と明確に対立し文壇を左右翼に分断させた。1946年7月に創刊した機関紙『文学』を8号まで刊行し、朝鮮文学賞を新設し施行した。発行人代表は李泰俊であった。
だが、軍政期の左翼系列弾圧のため、出帆後すぐ活動が制限された。『文学』3号は没収され、5,6号は制限された部数でのみ発行された。1946年11月、第2回文学家同盟会議が予定されていたが、予定通りに開くことができず無期限延期となった。このとき中央執行部委員長として李秉岐を選出し、大衆化運動を行い始めた。
1947年からは弾圧が強化され主要人物達がソ軍政地域に続々と脱出し、活動が大きく萎縮した。第1共和国樹立によって分断が確定した後は事実上瓦解した。朝鮮文学家同盟に参与した文人達は大部分朝鮮民主主義人民共和国へ行き、残った者は国民保導連盟に加盟した。