服部政光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Meine Libe (会話 | 投稿記録) による 2022年9月11日 (日) 21:58個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (+Category:戦国武将; +Category:服部氏; +Category:1542年生; +Category:1615年没 (HotCat使用))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

服部 政光(はっとり まさみつ、1542年 - 1615年)は、戦国時代武将。通称政秀権太夫 [1]

略歴

父は織田信秀に仕えていた服部政家(1491-1536)で、母は丹後守某の女。永禄3年(1560年桶狭間の戦いにおいて政光は大高城の松平元康に敗戦を知らせ、兵糧舟一艘を献じた。元康は感銘を受け、のち政光に遠江国河の庄3000貫の地を与えた [1]1573年三方ヶ原の戦いでは海陸の敵に備えるため東村城を守る。1582年松平康親の指揮を受け伊豆国佐野小屋の砦を攻略した。1590年小田原の役では本多忠勝の配下で御使番を務めた[2]法名は賢約。妻は千秋式部少輔の女で、子に政光(興十郎)がいる [1]

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜

第7輯』(榮進舍出版部 、1918年、100p)

脚注

  1. ^ a b c 榮進舍出版部 1918, p. 100.
  2. ^ 服部氏館”. 2022年9月12日閲覧。

外部リンク