日下部氏
日下部氏 | |
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三ッ盛木瓜(但馬日下部氏の家紋) | |
氏祖 |
狭穂彦王? 表米親王? |
種別 | 皇別 |
後裔 |
太田垣氏(武家) 八木氏(武家) 朝倉氏(武家) 日下氏?(武家) |
凡例 / Category:氏 |
起源
起源にはいくつかの説がある。
いずれの説も表米以降の系譜はほぼ同じであるが、部民制度の成立を考えた場合後者は疑問点が多く、信用できないとされる。[1]
また、雄略天皇の皇后であり仁徳天皇の皇女でもある草香幡梭姫が生活する資用に充てられた料地の管理等に携わった部民が、この皇后の名に因む(いわゆる名代部)とする説がある。そして、この部民は各地に配置されて屯田兵のような軍事集団の性格を持つものでもあったとされる。
くさかべ(日下部)の表記は、和歌の枕詞、「日の下の草香(ひのもと の くさか)」より生じた表記と言われる。同様の表記には「長谷の泊瀬」、「春日の滓鹿」、「飛ぶ鳥の明日香」などがある。
脚注
- ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年