斎部文山

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斎部 文山(いんべ の ふみやま、弘仁13年(822年) - 貞観9年4月4日867年5月11日))は、平安時代前期の貴族・工人。宿禰神祇大副・斎部伴主の子で、子に季長がいたとする系図がある[1]位階従五位下

経歴

右京出身。身分の低い出自であったが、工芸の技術に優れていることで名が知られていた[2]

造東大寺所に属した。斉衡2年(855年地震により東大寺大仏仏頭が地面に落下した際、修理できる工人はいなかったが、文山は轆轤と長い梯子を利用して仏頭を引き上げて大仏に繋いで、まるで新しく作り直したかのように修理したという[2]。文山によって考案された轆轤梯子を利用した仏頭を引き上げるための機械は『日本三代実録』に「雲梯之機」と記され[2]日本最古のクレーンともされる[要出典]

貞観3年(861年朝廷大法会を開催して大仏の修理落成供養を行った際、大仏修理の功労により従八位下から従五位下に昇叙された[3]

貞観9年(867年)4月4日卒去享年46。最終官位散位従五位下。

脚注

  1. ^ 「織田右大臣信長公ノ系統及履歴」中田憲信『好古類纂』第七集所収
  2. ^ a b c 『日本三代実録』貞観9年4月4日条
  3. ^ 『日本三代実録』貞観3年3月12日条

参考文献