折たく柴の記

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新井白石

折たく柴の記』(おりたくしばのき)は、江戸時代中期に新井白石1657年明暦3年) - 1725年享保10年))が書いた随筆。3巻3冊。成立は享保元年(1716年)頃と言われる。『折焚柴の記』とも書く。新井白石は江戸中期の旗本学者で、将軍徳川家宣期の正徳の治と呼ばれる政治を主導した。

概要

上巻は白石の祖父母や両親の伝記、白石の生い立ちから甲府家出仕までの出来事、中巻と下巻は幕府関係の出来事が中心で、徳川家宣や徳川家継の政治的業績がまとめられている[1]また、白石が編纂した諸大名家の系譜諸である『藩翰譜(はんかんふ)』作成のいきさつが記載されている[要出典]

書名について白石自身は言及していないが[1]後鳥羽天皇御製

思ひ出づる折りたく柴の夕煙むせぶもうれし忘れ形見に(新古今和歌集巻第八『哀傷歌』)

に由来するとされる[1]。また、序文に「外ざまの人の見るべきものにもあらねば、ことばのつたなきをも、事のわづらはしきをも、えらぶべしやは」とあり、本来は非公開のものとして書かれたものである[1]。新井家に伝わる自筆本のほか、いくつかの写本が現存する[1]

歴史学のみならず、文学研究では日記文学としての文学性(芸術性)も評価されている[2][3]

刊行本

原典校訂

現代語訳

脚注

  1. ^ a b c d e 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典 第1巻』岩波書店、1983年10月、525-526頁。 
  2. ^ 宗政五十緒 (1957). “「『折たく柴の記』 新井白石」論(上)”. 日本文学 (日本文学協会) 10: 759-766. doi:10.20620/nihonbungaku.6.10_759. 
  3. ^ 宗政五十緒 (1958). “「『折たく柴の記』-新井白石」論(下)”. 日本文学 (日本文学協会) 1: 17-18. doi:10.20620/nihonbungaku.7.1_17. 

外部リンク