手まり
手まり(てまり、手毬、手鞠)は、日本に古くからある遊具(おもちゃ)のひとつである。「新年」の季語。当初は、芯に糸を巻いただけの物であったが、16世紀末頃より、芯にぜんまい綿などを巻き弾性の高い球体を作り、それを美しい糸で幾何学的に巻いて作られるようになった。これらのまりは、非常に弾性が高くてよく弾み、正月の日の遊びとして少女らが地について遊んだ(例えば野球の硬球も中はコルクに糸を巻き付けたものを革で包んだ物である)。ソフトボールよりやや大きく、ハンドボールよりやや小振りのものが多い。
明治の中期頃からゴムが安価になり、よく弾むゴムまりがおもちゃとして普及して、手でついたり(地面にバウンドさせて)あるいは、空中に打ち上げて遊ぶ。女児のおもちゃで、江戸から明治期には、正月の遊びとされるが、現在では通年の遊びとなっている。
蹴鞠と手まり
日本には、「まり」と呼ばれるものが2つある。ひとつは蹴鞠で、これは2枚の鹿の皮を縫い合わせて作り、主に男子の貴族が楽しむスポーツまたは神事として行われた。もう一つが手まりで、女児の遊びであるが、江戸時代には男児も一緒に楽しむことがあった。歌人としても知られる越後の禅僧・良寛は子供たちとよく手まりで遊んだ。
ゴムまり
ゴムまりとは、弾力の強いゴムで作った中空のボールである。1909年に発表された夏目漱石の「それから」に護謨毬(ごむまり)という語句が出ており、20世紀に入ってから急速に普及したことが伺える。
それまでの、木綿を芯にした手まりは、よく弾ませるにはよほどの力が必要で、幼い子はしゃがんで1尺か1尺3寸くらいの高さでついていたが、護謨毬なら3尺くらいからでも楽につけ、楽しさも数倍になった。この頃から戦後まで、まりつきはもっとも人気のある女児の遊びだった。多くの手まり歌が作られたのも、明治後期である。
おもちゃから工芸品へ
近年では、おもちゃとして遊ばれる事は少なくなっており、伝統工芸品の手まりが装飾品として喜ばれている。