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戸津 高知(とつ たかとも、1869年 - 1959年12月)は、日本の政治家、教育者。学校法人北海学園元理事長であり、札幌商業学校(現・北海学園札幌高等学校)の創設者。
来歴
受賞歴
北海道文化賞(1956年)
エピソード
出典[1]
- 浅羽靖が厳格な国家主義と儒教的精神に基づいた教育を実施したのに対し、戸津は自由主義的な教育方針であった[2]。戸津が校長当時、北海中学校には、道内外から所謂「札付き」が集まってきて「ダラ中」と評され、教職員らが「札付き」生徒を入学させる方針の変更を進言したことに対し、戸津は「彼らも人の子。彼らを誰が救うのか。今ここで善導しなかったら、彼らの将来はどうなるか。」と教職員らを諌めたという。それによって、実に多彩な人材が送り出された。
- 戸津は、1929年の政府中等教育の改善策に対し、独自の教育改革案を唱えていた。それは、教職員が人格教化に当たるのを第一とし、1日8時間の勤務時間内で授業を4、5時間に抑えあとは生徒と共に復習・実験・運動競技・野外実習に励めばよいとするものであった。
- 戸津に対しては、教え子から親しみと父親の様な敬愛の念を込めて父っつぁんと呼ばれた。
出典[3]
- 1952年11月30日に札幌商業学校卒業生の有志によって札幌商業高等学校(現・北海学園札幌高等学校)の校庭に胸像が建立された。
出典[4]
- 家族に対しても教育熱心で知られ、子息・戸津高之も父同様に教育者として、北海道札幌南高等学校国語教諭や旭水町内会初代会長を務めている。
脚注
参考文献
- 日外アソシエーツ編『学校創立者人名事典』(紀伊国屋書店、2007年7月)
- 北海学園創基百周年記念事業出版専門委員会北海百年史編集委員会編『北海百年史:百折不撓』(北海学園, 1986年2月)
関連項目