慕容凱
燕王 慕容凱 | |
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西燕 | |
4王 | |
王朝 | 西燕 |
在位期間 | 386年 |
姓・諱 | 慕容凱 |
生年 | 不詳 |
没年 | 386年 |
父 | 慕容桓 |
年号 | 建明:386年 |
※『資治通鑑』では慕容顗と作る |
慕容凱(ぼよう がい、? - 386年)は、五胡十六国時代の西燕の第4代君主。
386年、慕容沖が武人の反発から殺害され、段随が燕王として擁立される事件が発生した。左僕射慕容恒、尚書慕容永により段隨が殺害されると、慕容凱は燕王として擁立された。即位後建明と改元、40万の軍勢を率いて長安を離れ、鮮卑の故地を目指したが、間もなく慕容恒の弟である慕容韜により殺害された。次の皇帝に慕容沖の子慕容瑤が擁立された。長安は後秦の姚萇が入城した。
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