川上法励

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川上法励

川上 法励(かわかみ ほうれい、1881年明治14年)6月10日[1] - 1944年昭和19年)7月28日[2])は、日本の衆議院議員ジャーナリスト

経歴[編集]

新潟県西蒲原郡吉田村(現在の燕市)出身[3]1909年(明治42年)に早稲田大学政治経済科を卒業し[4]、中国に留学した[3]。『北越新報』記者、同社主筆を経て、新潟中央新聞社社長となった[3]

1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、9頁。
  2. ^ 『官報』第5273号、昭和19年8月11日。
  3. ^ a b c 『衆議院議員略歴』
  4. ^ 『人事興信録』

参考文献[編集]

  • 『人事興信録 第十四版(下)』人事興信所、1943年。 
  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。