島田文郎

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しまだ ぶんろう
島田 文郎
本名 島田 保三 (しまだ やすぞう)
生年月日 (1908-04-23) 1908年4月23日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 新潟県
職業 俳優
ジャンル 劇映画時代劇現代劇剣戟映画サイレント映画
活動期間 1926年 - 1935年
主な作品
彼女の半生
小花恋物語
復活
旅の踊り子
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島田 文郎(しまだ ぶんろう、1908年4月23日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3]。本名は島田 保三(しまだ やすぞう)[1][2]

来歴・人物

1908年(明治41年)4月23日新潟県に生まれる[1][2][3]

1924年(大正13年)、日本映画俳優学校に3期生として入学[1][2]。同期には小林重四郎(1909年 - 1996年)がいた。1926年(大正15年)に卒業し、東亜キネマに入社するも芽が出ず、直ぐに日活に移籍する[1][2]。ただし、日本映画データベースにおいて、東亜キネマでの出演作品が見当たらない。以後、1929年(昭和4年)に公開された由川正和監督映画『大前田道中記』を始め多くの時代劇に出演した。

1934年(昭和4年)、大都映画に移籍し、島田は現代劇に転向する[1][2]。同年、新興キネマへ去った由利健次(1902年 - 没年不詳)の後釜として主に主演俳優として活躍した[1]。ところが、1935年(昭和10年)に公開された吉村操監督映画『明治五人女』以降の出演作品が見当たらず、以後の消息は不明である[1][2]。トーキー作品への出演は1作もなく、出演作品はすべてサイレント映画であった。没年不詳

出演作品

1931年

1934年

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『日本映画俳優全集 男優篇』キネマ旬報社、1979年、274頁。 
  2. ^ a b c d e f g 『芸能人物事典 明治大正昭和』 日外アソシエーツ、1998年。
  3. ^ a b 『日本人物レファレンス事典 芸能篇1 (映画・演劇・タレント)』日外アソシエーツ、2014年。 

外部リンク