岳雲

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岳雲

岳 雲(がく うん、1119年 - 1142年)は、中国南宋の武将。岳飛の長男(あるいは養子)[1][2]応祥

武勇に優れ、武将として頭角を現した。

だが、南宋の宰相秦檜は岳飛父子が目障りで、目の上の瘤だった。そこで彼はの皇族の梁王斡啜(宗弼)と密約を結び、部下の万俟卨に命じて岳飛と岳雲を逮捕し投獄した。紹興11年12月29日(西暦で1142年)、岳雲は秦檜によって岳飛とともに極刑に処され、反逆者として晒し首にされたという。享年23。

その死後、岳飛父子に対する人々の同情によって建てられた杭州岳王廟では、岳雲は父の岳飛の隣の堂にまつられており、墓も岳飛の墓の隣にある。そして岳飛父子の墓の前には、彼らを陥れた秦檜夫婦・万俟卨・張俊(岳飛と敵対した秦檜派の軍人)らが揃って後ろ手に縛られ、跪いている銅像がある。

家族

  • 妻:鞏氏
  • 男子:岳甫、岳申
  • 女子:岳大娘

史料

  • 宋史』巻365 列伝124
  • 『建炎以来係年要録』巻143
  • 『金佗粋編』巻13

脚注

  1. ^ 宋史』によると養子で実父は不詳。『建炎以来係年要録』によると実子で生母は劉氏(岳飛の生別した前妻)。
  2. ^ 鄧広銘『岳雲は岳飛の養子か?』より。