岩淵功
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名前 | ||||||
カタカナ | イワブチ イサオ[1] | |||||
ラテン文字 | IWABUCHI Isao | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1933年11月17日[1] | |||||
出身地 | 栃木県 | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 68kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
代表歴 | ||||||
1955-1958 | 日本 | 8 (2) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
岩淵 功(いわぶち いさお、1933年11月17日 - 不明)は、日本の元サッカー選手。ポジションはFW。娘婿は元プロ野球選手の吉村禎章。
経歴
栃木県立宇都宮高等学校3年次の1950年には小沢通宏と共に全国高等学校蹴球選手権大会(全国高等学校サッカー選手権大会の前身)で優勝。卒業後には慶應義塾大学に進学し体育会ソッカー部に入部。慶應BRB(現役、OBの混成チーム)の一員として1954年、1956年の全日本サッカー選手権大会 (天皇杯全日本サッカー選手権大会の前身)優勝に貢献した。
大学卒業後は東京トヨタ自動車に入社した(勤務先でサッカー部活動を行ったかは不明)。
また1955年に松永碩、加納孝らと共に東京クラブに加入。同年の第1回都市対抗選手権優勝、翌1956年も大会連覇に貢献した。
日本代表としても1955年1月のビルマ遠征で代表デビューを飾り、翌1956年6月3日に行われたメルボルンオリンピック予選、対韓国戦では77分に2点目の得点を決めるなど、予選突破に貢献。同年11月27日に行われた本大会のオーストラリア戦にもスタメン出場を果たした。その後も1958年のアジア競技大会に出場するなど国際Aマッチ6試合に出場し、2得点を記録した。
所属クラブ
代表歴
出場大会
- 1956 メルボルンオリンピック
- 1958 アジア競技大会
試合数
- 国際Aマッチ 6試合 2得点(1955-1958)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1955 | 3 | 1 | 3 | 1 | 6 | 2 |
1956 | 3 | 1 | 2 | 2 | 5 | 3 |
1957 | 0 | 0 | 6 | 4 | 6 | 4 |
1958 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
通算 | 8 | 2 | 11 | 7 | 19 | 9 |
得点数
# | 年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
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1 | 1955年1月11日 | ビルマ、ラングーン | ビルマ体協選抜 | 1-0 | 勝利 | 親善試合 |
2 | 1956年6月3日 | 日本、東京 | 韓国 | 2-0 | 勝利 | メルボルン五輪予選 |
出典
外部リンク
- 日本代表歴代記録 - 日本サッカー協会