岡田朝太郎
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岡田 朝太郎(おかだ あさたろう、慶応4年5月29日(1868年7月18日) - 昭和11年(1936年)11月13日)は、日本の法学者(刑法)。
経歴
- 1868年、大垣藩士・岡田平八の長男として生まれる[1]。
- 藩校蕃思学で学び、のち養成社から学費をうけ、東京に遊学する。
- 1891年 東京帝国大学法科大学仏法科を卒業
- 1893年 東京帝国大学法科大学と和仏法律学校に講師
- 1894年 東京帝国大学助教授
- 1897年 ドイツ、フランスに留学
- 1900年 帰朝、東京帝国大学教授となる
- 1901年 法学博士の学位を受ける
- 1906年 在官のまま、清国欽命修訂法律舘調査員兼法律学堂教員として招聘される
- 1907年 慶應義塾大学法学部教授(刑法担当)。
- 1915年 東京帝国大学教授を辞任
- 1936年11月13日 逝去(享年69)
栄典
著書
脚注
- ^ 人事興信所 1903, 314頁.
- ^ 『官報』第5964号「叙任及辞令」1903年5月22日。
- ^ 『官報』第124号「叙任及辞令」1912年12月27日。
- ^ 『官報』第967号「叙任及辞令」1915年10月21日。
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 慶應義塾百年史.別巻,大学編