山崎 (鎌倉市)

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山崎(やまざき)は神奈川県鎌倉市深沢地域にある大字。旧名は洲崎風土記稿)で鎌倉の戦いにおける「洲崎古戦場」はこの地を指す。

地名の由来は山丘の先端に基づく(風土記稿)ほか、京都の山崎を擬えたものとされる。初見は義堂周信の『空華日用工夫略集』で、貞治6年(1367年)の「密かに山崎に匿る」である。鎌倉公方足利基氏万寿寺住持就任を謝絶し山崎に隠棲した。応安7年(1374年)11月23日に円覚寺大火のため、長老大法大闡が「山崎宝積寺」に移っている。この宝積寺は京都の宝積寺を模して創建されたという(現在は廃寺)。康正3年(1457年)2月の「今川範忠禁制」に「相州山崎村」の記述がある。明応3年(1494年)4月19日の「玉井院檀那本銭返売券」において「山崎泉蔵坊」は熊野詣の先達職を持つ坊であったことが記されている。永正17年(1520年)3月25日の資料でも「鎌倉山崎泉蔵坊 祐秀」と記録され、江戸時代に続く熊野信仰の拠点となっていた。

後北条氏の時代には東郡に属したが江戸時代には鎌倉郡に属し、正保元年(1644年)の正保国絵図にも「山嵜村」と記録されている。江戸時代は幕府領であった。

皇国地誌によると明治12年(1879年)の戸数52、人口284人であった。明治22年(1889年)4月の町村制施行により、梶原上町屋手広寺分常盤笛田と合併して深沢村が誕生し大字となった。

昭和23年(1948年)1月、深沢村が鎌倉市と合併した際に鎌倉市の大字となる。昭和42年(1967年)2月、住居表示により山崎の一部が一丁目、二丁目となった。

行政施設

寺社・旧跡

参考文献

  • 三浦勝男編 『鎌倉の地名由来辞典』 東京堂出版 2005

脚注