尹貞玉

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尹 貞玉ユン・ジョンオク1925年 - )は、韓国の従軍慰安婦活動家。梨花女子大学英文科名誉教授、元・韓国挺身隊問題対策協議会共同代表。

略歴

  • 1925年、日本統治下江原道高城郡外金剛に生まれる
  • 1943年、梨花女子専門学校(現在の梨花女子大学)に進むが自主退学
  • 1953年、梨花女子大学講師(後に教授)
  • 1980年女子挺身隊・従軍慰安婦の調査開始。
  • 1988年、韓国教会女性連合会主催のセミナーで挺身隊踏査報告を行い韓国教会女性連合会に「挺身隊研究委員会」設置させる。
  • 1990年、『挺身隊(怨念の足跡)取材記』をハンギョレ新聞に連載。
  • 1990年11月16日、韓国教会女性連合会、韓国女性団体連合会等16団体が参加して韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)を結成。挺対協の代表に就任
  • 2000年-2001年女性国際戦犯法廷共同主催者
  • 2006年、ベトナム訪問、ベトナム戦争時の韓国軍による性暴力被害者の調査を行う
  • 2008年、宮古島「慰安婦」のための祈念碑除幕式に参加。日本がいまだ事実認定も謝罪も、補償もしないことに怒りを感じていると表明。[2]

慰安婦・挺身隊について

  • 最も初期に日本の沖縄、北海道、東南アジアで調査を行い、記録をハンギョレ新聞に掲載し慰安婦という存在を韓国世論に訴えかけた。同時に、ジェンダーの視点からの見直しを行った。女性の性に対する観念を徹底的に変える社会的な、意識改革が先行せねばならない。挺身隊の女性こそ民族史(韓国史)の主人公であらねばならない。などと説いた。(『平和を希求して』2003年)
  • 1990年の段階で日本で講演を行い、日韓で慰安婦問題に関心をもつ人間に連帯をよびかけ、関係者に大きな影響を与え、「日本軍慰安婦問題行動ネットワーク」「従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク」などの団体の結成を促した。(同上、p88)
  • 1996年のクマラスワミ報告では、日本軍が若い女性を学校に集めて強制連行していったと証言している[1]
  • 社会党清水澄子などの民間基金の考え方には一貫して反対し、村山内閣で設置されたその延長上である女性のためのアジア平和国民基金にも反対した。理由は慰安婦問題の解決には、責任の明確化、責任者の処罰、国家賠償が必要だとしたためである。女性のためのアジア平和国民基金が個別に元慰安婦に償い金受け取りを要請した際には、受け取ることは、基金が日本政府の責任を曖昧にし、うやむやのうちに終わらせるものだとして反対した。
  • 尹による日韓共同調査によれば、太平洋戦争中には宮古島に13カ所の日本軍「慰安所」があったことが明らかにされた、当時島民は6500人だが日本軍は3000人が常駐し、狭い島に日本軍、住民、日本軍「慰安婦」が近接混ざり合って住んでいた事がわかっている。

著作

  • 朝鮮人女性がみた「慰安婦問題」:明日をともに創るために、尹貞玉ほか 三一書房, 1992年(ハンギョレ新聞への連載を収録)
  • 証言・強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち 韓国挺身隊問題対策協議会 明石書店 1993(調査・編集に参加)
  • 平和を希求して:「慰安婦」被害者の尊厳回復へのあゆみ、白澤社, 2003年

脚注

  1. ^ クマラスワミ報告 (P9)[1]

関連項目