富小路資直

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富小路 資直(とみのこうじ すけなお、生年不詳 - 天文4年12月1日1535年12月25日))は、戦国時代公家宮内卿富小路俊通の子。官位従三位弾正少弼。号は雀軽子

経歴[編集]

中務丞を経て、文明16年(1484年六位蔵人左近衛将監に任官し、永正3年(1506年従五位下叙爵する。のち、永正9年(1512年正五位下、永正12年(1515年従四位下、永正16年(1519年)従四位上、大永2年(1522年正四位下と昇進する傍らで、石見守弾正少弼を務めた。大永6年(1526年)父に続いて従三位に任ぜられ公卿に列す。また、資直は昇殿を許され、富小路家堂上家に加わった。

三条西実隆公条父子に重用されて活動し、歌合の判や古典の書写を行うとともに、十市遠忠岩山道堅とも交際があった。歌集に『従三位資直卿百首』があり、和歌作品は『百首部類』や実隆の私家集『雪玉集』などに採録されている。蹴鞠医学にも通じたほか、地方を旅することも多く、天文4年(1535年)に完成した紀行文『資直越前紀行』が現在に伝わっている。

天文4年(1535年)12月1日薨去

官歴[編集]

諸家伝』による。

系譜[編集]

系図纂要』による。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『尊卑分脈』

参考文献[編集]