富士本淳

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ふじもと じゅん

富士本 淳
生誕 (1958-03-29) 1958年3月29日(66歳)
日本の旗 日本 北海道
住居 世田谷区
教育 専門学校卒
出身校 日本工学院専門学校
職業 経営者
給料 8億8,700万円
(2018年12月決算・日本高額役員報酬21位)
肩書き 株式会社ユニバーサルエンターテインメント 代表取締役社長
株式会社セタ 元代表取締役社長
任期 2006年~
前任者 岡田和生
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富士本 淳(ふじもと じゅん、1958年3月29日 - )は日本の会社経営者。

ユニバーサルエンターテインメント代表取締役社長。日本電子工学院(現・日本工学院専門学校)卒。

略歴

北海道出身。1982年に有限会社世田企画、1985年セタを設立し、代表取締役社長に就任。

ゲーム制作業を中心に活動。NINTENDO64開発の際には任天堂に対して積極的に技術を提供し、コントローラー振動パックなどを提案する。

セタの赤字経営

その後、セタの経営が悪化し多額の赤字経営となり、第三者委員会の追及を受けた。

当時、大手パチスロメーカーのアルゼ社長であった岡田和生に救済されるかたちで1999年にセタは第三者割当増資によりアルゼの子会社となる。

2007年3月期決算において不適切な会計処理を行ったことが判明。

2007年3月期での経常利益の過半近くが取り消され、売上高、当期純損益なども多額の訂正がなされたため、2008年1月に上場廃止。

負債総額 約31億8,700万円[1]
2009年より精算手続きを開始。 

ユニバーサルエンターテインメント(アルゼ)時代

岡田和生の救済により、2001年にはアルゼの常務取締役に就任。

2004年には副社長兼開発本部長を務め、2006年、岡田和生の退任に合わせアルゼの代表取締役社長に就任。

2007年11月30日、代表権のない最高顧問に退く。

アルゼの完全子会社である株式会社フォレストエンターテイメントの代表取締役に就任。(株式会社フォレストエンターテイメントは2008年3月に解散)

2009年にアルゼがユニバーサルエンターテインメントに社名変更。

不正送金

2017年5月の岡田和生追放後の2018年には、 大幅な赤字経営を続けているのにも拘らず自身の役員報酬を増額[2]するなどして、役員報酬が高い上場企業経営者の21位[3]にランクインしている。

2019年9月 2012年に4,350万米ドルを香港へ送金していたという疑いで、株主代表者訴訟を提起される[4]

製作作品

脚注

関連項目

外部リンク