家野猛之

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家野 猛之(いえの たけし、1890年2月1日[1] - 1973年4月9日[1])は、日本政治家岡山県西大寺市(現・岡山市)長。

来歴

岡山県邑久郡福田村(のち邑久町、現・瀬戸内市)出身[1]。邑久尋常高等小学校[1]1922年4月、日本農民組合の結成大会に参加する[1]。同年11月上道郡金田村(のち西大寺市、現・岡山市)の小作争議に加わり、検挙され、有罪判決を受ける[1]。その後、労働農民党に入り、1927年、同党公認で岡山県会議員選挙に立候補したが落選した[1]1929年に福田村会議員となり、福田村農会長、邑久郡町村会議員連盟会長などを歴任した[1]1947年、西大寺町長に初当選[1]1951年に再選[1]1953年、西大寺市発足により、市長職務執行者となり、市長選挙に立候補し当選した[1]。市長を1期務め、1957年に市長を退任した[2]1970年勲五等双光旭日章を受章[2]、1973年に死去した。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『岡山歴史人物事典』、49頁。
  2. ^ a b 『岡山歴史人物事典』、50頁。

参考文献