宮入潔

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宮入 潔(みやいり きよし、1914年1月26日 - 2004年12月22日)は、日本の経営者長野県長野市出身[1]

経歴

1934年山梨高等工業学校機械工学科を卒業し、同年に久保田製作所に入社し、豊田自動織機製作所トヨタ自動車工業での勤務を経て、1959年4月に豊田通商に移り、同年5月には常務に就任した[1]

1961年11月に専務に就任し、1968年5月に社長に昇格した[1]1977年7月から相談役を務めた[1]

1978年11月に藍綬褒章を受章し、1983年4月に勲三等旭日中綬章を受章した[1]

2004年12月22日急性心不全のために死去[2]。90歳没。

脚注

  1. ^ a b c d e 人事興信所 1999, み116頁.
  2. ^ 2004年 12月23日 日本経済新聞 朝刊 p31

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第40版 下』人事興信所、1999年。