孫臏兵法

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1972年に山東省臨沂市銀雀山で出土した『孫臏兵法』の竹簡(山東省博物館蔵)

孫臏兵法(そんぴんへいほう)は紀元前4世紀頃の中国戦国時代の武将 孫臏孫ピン)が著したとされる兵法書。なお、過去においてはいわゆる『孫子』の兵法書について、孫武が著したものであるという説と孫臏が著したものであるという説が存在していたが、この『孫臏兵法』が発見されたため前者であることが現在ではほぼ確定している。

発掘の経緯

1972年4月、中華人民共和国山東省において、漢代の墓が二つ並んで発掘された。ただちに山東省博物館から来た専門家が検証した。後に銀雀山漢墓と称されるようになるこの現場で発掘された、竹簡形式の多数の書物の中で竹簡孫子に『孫臏兵法』が発見された。書物と同時に発掘された古銭の形状、および同時に発掘された漢武帝元光元年歴譜から、年代がおおよそ紀元前134年~118年と推定された。

孫臏兵法の構成

孫臏兵法』は竹簡440枚、全30篇にわかれている。原文においてはそのうち21篇に篇名が記されていた。詳しくは、金谷治訳注『孫臏兵法 もうひとつの孫子』(ちくま学芸文庫、2008年) ISBN 978-4-480-09178-9

関連項目