大門恒作
大門 恒作(おおかど つねさく、1872年6月28日(明治5年5月23日[1])- 1964年10月25日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、栃木県会議長、栃木県塩谷郡氏家町長。
経歴
栃木県[2]塩谷郡飯室村(熟田村、北高根沢村を経て現高根沢町大字飯室)で、大地主・鈴木良一の息子として生まれる[3]。同郡氏家町(現さくら市)の大門喜平の養子となる[3]。
1891年私立中学以道館卒。下野新聞社に入る。日清戦争では従軍記者として派遣された[2]。1897年(明治30年)氏家町会議員に就任[3]。栃木県議、同議長、氏家町長となる[2]。
1936年の第19回衆議院議員総選挙で栃木1区(当時)から立憲民政党公認で立候補して当選した[4]。衆議院議員を1期務め、1937年の第20回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。終戦後、公職追放となった[5]。
脚注
参考文献
- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『栃木県歴史人物事典』下野新聞社、1995年。