多田北烏
多田 北烏(ただ ほくう、1889年 - 1948年1月1日)は、日本の商業美術家。本名は多田 嘉寿計(かすけ)。
経歴
長野県生まれ。江戸時代に信濃国安曇郡で発生した貞享騒動の義民多田加助の子孫にあたる[1]。13歳で上京し、旧制東京高等工業学校図案科選科修了、川端画学校に学び、凸版印刷図案部を経て、東京図案研究所長等を歴任した。大正11年(1922年)実用美術研究所サン・スタジオを創設し、商業美術の向上と後進の指導に努力した。昭和19年(1944年)静岡県沼津市に疎開[2]、同23年(1948年)に同地で没した。
新興日本童画協会常務委員、全日本産業美術連盟常任委員をつとめ、実用版画美術協会を主宰した。著書に「多田北烏図案集」などがある。