堀田正忠

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堀田 正忠(ほった まさただ、1860年1月19日安政6年12月27日) - 1938年昭和13年)3月11日)は日本の検察官法学者福島事件高田事件大阪事件検察官法政大学関西大学の創立者の一人。

略歴・人物

1860年1月19日(安政6年12月27日)、下総国(現・千葉県)に生れる。1873年明治6年)、来日した司法省顧問ボアソナードの住みこみ書生となり、法典翻訳編纂の手伝いをして法律知識を身につける。

1880年(明治13年)、東京法学社(現・法政大学)の創立に参加し、治罪法等を講義する。1883年(明治16年)、福島事件の公判にあたりボアソナードの推薦をうけて検察官となり、令名を馳せる。高田事件でも主任検事となり『国事犯の堀田か、堀田の国事犯か』とうたわれる。

1886年(明治19年)、大審院詰から大阪控訴院詰に転じ、同年5月に来阪して大阪事件を担当する。同年、関西法律学校(現・関西大学)の創立に参加し、治罪法等を講義する。1889年(明治22年)春ころ、同校講師を辞し、さらに同年7月には検事の職を辞して大阪毎日新聞社に入社する。1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙に立候補するが、惜敗する。

華やかな壮年期に比べて晩年はふるわず、1938年(昭和13年)3月11日に死去、享年78。

著書

単著

  • 『郡制府県制釈義』(赤志忠雅堂、1890)
  • 『刑事訴訟法釈義 上巻』(1896)
  • 『刑事訴訟法釈義 下巻』(1896)
  • 『刑法釈義 1巻 上』(1883)
  • 『刑法釈義 1巻 下』(1883)
  • 『刑法釈義 2巻 上』(1883)
  • 『刑法釈義 2巻 下』(1883)
  • 『刑法釈義 3巻 上』(1883)
  • 『刑法釈義 3巻 下』(1883)
  • 『治罪法要論』(博聞社、1885)
  • 『売買法要論』(大阪府警察本部、1886)
  • 『法理要論 上』(1886)
  • 『法理要論 下』(1886)
  • 『仏国会社法要論』(小野市兵衛、1888)
  • 『法例釈義』(森祐好、1890)

共著

  • 『市制町村制異同弁』山田正賢(顔玉堂、1889)
  • 『司法警察事務処弁法詳説』山田正賢(梅原亀七、1889)
  • 『商法講義』山田正賢(山田正賢、1899)
  • 『民法集解 財産篇 第1巻』森順正
  • 『民法集解 財産篇 第2巻』森順正
  • 『民法集解 財産篇 第3巻』森順正

共編

  • 『治罪法異同弁 第1編』高谷恒太郎 編(北畠茂兵衛、1883)
  • 『治罪法異同弁 第2編』 高谷恒太郎 編(北畠茂兵衛、1883)
  • 『治罪法異同弁 第3編 上』 高谷恒太郎 編(北畠茂兵衛、1883)
  • 『治罪法異同弁 第3編 中』 高谷恒太郎 編(北畠茂兵衛、1884)
  • 『治罪法異同弁 第3編 下』 高谷恒太郎 編(北畠茂兵衛、1883)
  • 『治罪法異同弁 第4編 上』 高谷恒太郎 編(北畠茂兵衛、1883)
  • 『治罪法異同弁 第4編 下』 高谷恒太郎 編(北畠茂兵衛、1883)
  • 『治罪法異同弁 第5編』 高谷恒太郎 編 北畠茂兵衛、1883)

翻訳

  • 『仏国民刑判決録 民事之部』 ダローズ 編(文学社、1887)
  • 『仏国民刑判決録 刑事之部』 ダローズ 編(文学社、1887)
  • 『仏国民法売買篇講義』 ボアソナード 著(博聞社、1883)

参考