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唐沢 玄蕃(からさわ げんば、生没年不詳)は、信濃国沢渡出身の忍者。武田氏家臣、のち真田氏家臣。
父・杢之助は斉藤家に仕えていたが武田家に寝返る。1561年、上野国嶽山城の攻防で杢之助は討死する。
唐沢家の跡を継いだ玄蕃は、その身軽さを「飛び六法」と称され、1574年、上野国尻高城に侵入しこれを焼討ちした。
長篠の戦いにも参戦し、武田家の滅亡後は真田昌幸に仕え、関ヶ原の戦い後、信之に従った。
逸話
武田と北条が争った時、上杉方の中山城に侵入した戻りに厩の金装の馬を盗む。後日これが信玄の目に留まって名声を上げるが目立ってしまい、かえって敵に狙われた(似た話が同じ真田忍者の割田重勝にもある)。