コンテンツにスキップ

唐沢玄蕃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Hyon (会話 | 投稿記録) による 2011年9月18日 (日) 10:26個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

唐沢 玄蕃(からさわ げんば、生没年不詳)は、信濃国沢渡出身の忍者武田氏家臣、のち真田氏家臣。

父・杢之助は斉藤家に仕えていたが武田家に寝返る。1561年上野国嶽山城の攻防で杢之助は討死する。

唐沢家の跡を継いだ玄蕃は、その身軽さを「飛び六法」と称され、1574年上野国尻高城に侵入しこれを焼討ちした。

長篠の戦いにも参戦し、武田家の滅亡後は真田昌幸に仕え、関ヶ原の戦い後、信之に従った。

逸話

武田と北条が争った時、上杉方の中山城に侵入した戻りに厩の金装の馬を盗む。後日これが信玄の目に留まって名声を上げるが目立ってしまい、かえって敵に狙われた(似た話が同じ真田忍者の割田重勝にもある)。