反天皇制全国個人共闘・秋の嵐

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反天皇制全国個人共闘・秋の嵐(はんてんのうせいぜんこくこじんきょうとう・あきのあらし)は、日本の新左翼団体。天皇制廃止論を掲げる。略称は秋の嵐(あきのあらし)。

概要

他の新左翼党派は、1960年代から1970年代にかけて組織化されたものが大半であるが、「秋の嵐」は1980年代後期になって組織化したのが大きな特徴である。「全国個人共闘」という名称からも分かるように、いずれの既存新左翼党派にも属さない、いわゆるノンセクト・ラジカルに分類される。既成党派のメンバーも参加していたが、秋の嵐自体は党派ではない。

1987年秋に予定されていた沖縄国体に伴う昭和天皇の沖縄訪問に反対するため、同年9月に結成された。あくまでも短期的組織のつもりだったことから「の嵐」という名称になっている(昭和天皇は訪問直前に病床に伏したため、代理として皇太子明仁親王が沖縄を訪問することになった)。

反管理教育運動時代に秋の嵐と友好的な関係にあった外山恒一は、「天皇が死んだら、白色テロの嵐が吹き荒れ、ファシスト政権が樹立され、左翼は皆殺しにされる。」という一種の終末思想ハルマゲドン的な考え方が左翼の間で広く信じられており、近い将来起こるであろう「(昭和)天皇の最期の日」に危機感を抱くことになった。そのため、「秋の嵐」をそのまま維持することになったとしている[要出典]

その後、昭和天皇の病状悪化による「自粛ムード」の広がりに反発する左翼内の雰囲気に乗り、一時は運動が盛り上がったが、大喪の礼即位の礼などの皇室関連行事(天皇代替わり)が一通り終わった1991年頃以降、活動が停滞し、現在に至っている。

闘争過程において警察の介入を受け、逮捕・起訴されたメンバーも多い。激しい暴行を受けた件については、東京都を相手取って訴訟を行い勝利している(しっぺがえし裁判)。

主要メンバー

参考文献

  • 外山恒一 『青いムーブメント まったく新しい80年代史』彩流社、2008年
  • 見津毅 『終止符(ピリオド)からの出発』インパクト出版会、1996年

関連項目