劉カク

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劉瑴(りゅう かく、生没年不詳)は、南朝梁官僚は仲宝。本貫沛国相県

経歴[編集]

東晋の丹陽尹の劉惔の七世孫にあたる。若くして品行方正で才能と度量があった。国子礼生から射策で高い成績をおさめ、寧海県令となった。しばらくして湘東王蕭繹の下で記室参軍となり、さらに中記室に転じた。太清3年(549年)、侯景建康を陥落させ、蕭繹が江陵で承制すると、蕭繹の檄文の多くは劉瑴の手によって書かれるようになった。劉瑴は蕭繹(元帝)の政権下で尚書左丞や御史中丞を歴任した。承聖2年(553年)、吏部尚書・国子祭酒に転じた。

承聖3年(554年)、西魏の攻撃により江陵が陥落すると、劉瑴は連行されて長安に入った。劉瑴の晩年については知られていない。

伝記資料[編集]