冲永荘兵衛
冲永 荘兵衛(おきなが しょうべい、1903年(明治36年)12月8日 - 1981年(昭和56年)2月21日)は、日本の政治家、教育者。
来歴・人物
愛媛県喜多郡長浜町(現・愛媛県大洲市)の小地主の家系に1903年生まれる。1925年日本大学商学部を卒業後、東京府荏原区会議員を歴任した。
郷里愛媛県の先輩で弁護士・東京市会議員である尾中勝也やのちに帝京商業学校長となる忠石弘治らとともに、1931年東京府渋谷町に現在の帝京大学グループの源流となる財団法人帝京商業学校・帝京商業学校(現・学校法人帝京大学・帝京大学中学校・高等学校)を創設、同時に理事長・校長に就任した。
その後、東京市杉並区に旧制帝京中学校(現・学校法人帝京学園・帝京中学校・高等学校)を設置し教育者として生徒の知力・体育・道徳の育成を使命とした。一方で母校日本大学の監事・評議員として日本大学の発展に寄与し、晩年まで無報酬で日本大学の運営にも尽力した。
遺訓は「力むれば必ず達す、努力は実力を生み、実力は自信を養い、自信は興味を倍加する」。