2019年1月28日 (月) 06:57; Yaruohrhm (会話 | 投稿記録) による版 (南北朝時代の僧)(日時は個人設定で未設定ならUTC)
円龕昭覚(えんがん しょうがく)は、南北朝時代の臨済宗の僧。
鎌倉寿福寺の寂庵上昭の室に入り、法を嗣ぐ[2]。暦応年間に豊前耶馬渓の石窟に十六羅漢像を描き、さらに元僧の逆流建順らと共に仏像を七百体余作り安置する[2]。のち室町幕府第3代将軍足利義満から羅漢寺の寺号を与えられた[2]。