入江海平

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入江海平

入江 海平(いりえ かいへい、1881年明治14年)1月1日[1]1938年昭和13年)1月17日[2])は、日本の朝鮮総督府官僚南満州鉄道理事。拓務次官玄洋社社員[3]

経歴

福岡県宗像郡(現・宗像市)出身。福岡県中学修猷館[4]第七高等学校造士館を経て、1908年(明治41年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し[5]統監府嘱託となった[2]。翌年に高等文官試験に合格し、統監府書記官、朝鮮総督府書記官、総務部会計局経理課長、総督官房会計課長、度支部理財課長を歴任した[2]1917年大正6年)、内閣拓殖局書記官に転じ、第一課長、南満州鉄道株式会社監理官、東洋拓殖株式会社監理官などを務めた[2]

1923年(大正12年)に退官し、南満州鉄道株式会社理事に就任。1927年(昭和2年)まで在任した[2]。その後、1935年(昭和10年)から1937年(昭和12年)まで拓務次官の職にあった[2]

その他、塩水港製糖株式会社社長、自動車投資株式会社社長を務めた[1][2]

脚注

  1. ^ a b 大衆人事録 1937.
  2. ^ a b c d e f g 宗像郡誌 上編pp.697-699 1944.
  3. ^ 石瀧豊美『玄洋社・封印された実像』海鳥社、2010年、玄洋社社員名簿24頁。
  4. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員3頁
  5. ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學士及卒業生姓名95頁

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。 
  • 『宗像郡誌 上編』1944年。 
先代
坪上貞二
拓務次官
1935年 - 1937年
次代
萩原彦三