佐々木忠次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。2400:4065:2411:4700:50ac:3b19:f6f3:46fb (会話) による 2020年11月7日 (土) 07:14個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎栄典)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

佐々木 忠次郎
生誕 1857年9月27日安政4年8月10日
日本の旗 日本越前国(現・福井県
死没 (1938-05-26) 1938年5月26日(80歳没)
国籍 日本の旗 日本
研究分野 昆虫学
研究機関 駒場農学校東京帝国大学
出身校 東京大学
主な業績 大森貝塚の発掘
主な受賞歴 旭日重光章
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

佐々木 忠次郎(ささき ちゅうじろう、1857年9月27日安政4年8月10日)- 1938年昭和13年)5月26日)は明治・大正・昭和期の昆虫学者。近代養蚕学製糸学の開拓者。

経歴

東京大学在学中、エドワード・S・モースチャールズ・オーティス・ホイットマンの指導を受けた。

害虫研究や蚕研究を行い、多くの著書と論文を発表し、没後その功績を称え旭日重光章が贈られた。また国蝶のオオムラサキの属名「ササキヤ(Sasakia)」は彼に対する献名である。

なお、父佐々木長淳も養蚕学の研究者である[2]

栄典

位階
勲章等

注釈

  1. ^ 『官報』第2902号、大正11年4月8日。
  2. ^ 微粒子病が育てた養蚕技術/佐々木長淳・忠次郎の親子リレー”. 社団法人 農林水産技術情報協会. 2014年5月14日閲覧。
  3. ^ 『官報』第2545号、「叙任及辞令」1891年12月22日。
  4. ^ 『官報』第5451号「叙任及辞令」1901年9月2日。
  5. ^ 『官報』第6995号「叙任及辞令」1906年10月22日。
  6. ^ 『官報』第5548号「叙任及辞令」1901年12月28日。
  7. ^ 『官報』第1310号・付録、「辞令」1916年12月13日。

論文

外部リンク

  • 石森直人「佐々木忠次郎博士を憶ふ」『昆蟲』第12巻第5号、日本昆虫学会、1938年7月、pp. 115-120、ISSN 0915-5805