今出川実順

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今出川実順(いまでがわ さねあや、天保3年7月13日1832年8月8日)‐元治元年9月5日1864年10月5日)は、江戸時代後期から末期にかけての公卿。父は権中納言今出川公久。母は不詳。室は関白鷹司政通の娘・美津子。養子侯爵菊亭脩季(関白鷹司輔熙の子で、美津子の甥)。号は菊亭。

天保7年(1836年)に叙爵して以降、清華家当主として速いスピードで昇進し、侍従左近衛権少将を経て、嘉永2年(1849年)には従三位右近衛権中将となり、公卿に列する。安政5年(1858年)幕府が朝廷に求めた日米修好通商条約への勅許を出すことに反対して廷臣八十八卿として列参に加わる。そのため同年始まった井伊直弼による大規模な政治弾圧「安政の大獄」に連座した。

安政6年(1859年)に権中納言となる。実順の死後、養子の今出川脩季は「菊亭」と家名を改めた。明治17年(1884年)に清華家であることから侯爵に叙せられている。

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