井上十吉

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井上 十吉(いのうえ じゅうきち、文久2年10月28日1862年12月19日) - 昭和4年(1929年4月7日)は、明治期の英語学者和英辞典編纂者、官吏ヘボンの影響を脱した最初の和英辞典である『新訳和英辞典』を完成させた。曽孫に井上真紀(歌手)、甥に柴山格太郎学文社がくぶん総合教育センター創立者)。

経歴

阿波国徳島藩に生まれ、藩主の命により江戸に出て明治4年(1871年慶應義塾に入学(『慶應義塾入社帳第一巻487項』)。同塾卒業後の明治6年(1873年)、旧藩主蜂須賀茂韶に選抜された7人の留学生の1人として随行し、イギリスに渡る。ロンドン大学に進みキングス・カレッジ冶金学を治め、明治16年(1883年)帰国し、翌年、東京大学理学部で実験助手、第一高等中学校学習院高等師範学校東京高等商業学校などで英語教師となり、明治27年(1894年)に外務省の翻訳官に転じた。教え子には、神保格渡辺半次郎佐川春水が居る。

明治31年(1898年)には、公使館2等書記官になりベルギーアメリカ合衆国スウェーデン等、西欧各国に駐在。大正7年(1918年)に著述に専念するために退官し、大正4年(1915年)に『井上英和大辞典』を編纂。大正10年(1921年)には『井上和英大辞典』を編纂するなど10余種の辞典を作成した他、初めての英語教科書を発行した。「英語講義録」による通信教育を日本で初めて試みた。また、日本文化の海外紹介にも努め、英訳『仮名手本忠臣蔵』などの翻訳も多数手がけた。

栄典

外国

著作

脚注

  1. ^ 『官報』第5098号「叙任及辞令」1900年7月2日。
  2. ^ 『官報』第1661号「叙任及辞令」1918年2月18日。
  3. ^ 『官報』第5039号「叙任及辞令」1900年4月23日。

参考文献

  • 『慶應義塾入社帳 第1巻』福澤諭吉研究センター(編)、慶應義塾、1986年。

関連項目