九九式破甲爆雷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Hiro1950 (会話 | 投稿記録) による 2011年11月17日 (木) 01:57個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎出典)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

九九式破甲爆雷
ロンドンの帝国戦争博物館に収蔵されている九九式破甲爆雷。安全ピンが欠落している。
種類 対戦車地雷
原開発国 日本の旗 日本
運用史
配備期間 1939年 - 1945年
関連戦争・紛争 日中戦争第二次世界大戦
諸元
重量 1,300g
全高 38mm(一部に37㎜の記載在り)
直径 128mm

弾頭 TNT/RDX
炸薬量 630g
信管 磁気遅延作動装置
テンプレートを表示

九九式破甲爆雷(きゅうきゅうしきはこうばくらい)は、大日本帝国陸軍の対戦車兵器である。1939年より就役し、日中戦争第二次世界大戦で使用された。

敵戦車に向かってこれを投擲、あるいは肉薄して自らの手で装甲に貼り付けて爆発させる。その形状から亀の子アンパンなどと呼ばれる。

概要

中央に設置されたあんパンの形をした麻布製のパーツが爆雷の本体であり、各々被包された炸薬(一号淡黄薬)が8個に分割されてこの中に収められている。それを収めるの形をしたパーツの四周にはOP磁石フェライト磁石の一種)が装着されており、撃発装置、導火薬筒、尾筒、安全栓から構成される信管を外部に取り付けて使用する。信管は撃発式で遅延作動し、安全栓を除去してから撃発させると導火薬筒に点火、10秒後に爆発する。平常時は、爆雷本体は携帯箱に20個づつ収容して輸送され、信管は別に信管筒内に入れて携行し、爆雷を使用するときに装着した。

より大きな威力を得ようとするならば、九九式破甲爆雷を積み重ね、磁石で連結して爆破することもできる。装甲破壊能力はドイツ軍の吸着地雷成型炸薬モンロー/ノイマン効果を利用し、140mmの装甲を破壊できる)に比べると著しく劣るが、日本側の試験では1個で20mm、重ねると40mmの装甲を破壊した。米軍側の資料では、個別に使用した場合には19mmの装甲板を破壊、2個を積み重ねた場合32mmの装甲板を破壊できたとある[1]

理論的には10秒あれば敵戦車に貼り付けて逃げるには十分な時間であるが、敵戦車の付近に歩兵などがいた場合は狙い撃ちにされるため生還は厳しく、現実的には特攻兵器に等しい。よってこのような肉薄兵器が実用化されたのは日本以外ではドイツの吸着地雷のみであり、そのドイツもパンツァーファウストの開発に成功した1944年以降は生産を終了している。一方の日本は終戦まで有力な携帯対戦車兵器を開発することができず、対戦車兵器としては九九式破甲爆雷、刺突爆雷火炎瓶と言った肉薄兵器を主力とせざるを得なかった。しかも、1939年のノモンハン事件で実戦投入された際には、装甲の薄さで知られるソ連軍のBT戦車の装甲を破壊するためにすら数個重ねる必要があるなどこの時点で非力であり、大戦後期の米軍の主力戦車シャーマンなどには殆ど歯が立たなかった。

1943年8月4日から5日にかけて戦われた、ニュージョージア島、ムンダ・ポイントの作戦にて、不発の九九式破甲爆雷を戦車に吸着させて検分する海兵隊戦車長。

開発経緯

九九式破甲爆雷審査経過の概要

一.審査の起因

主として戦車の装甲板に吸着せしめて之を爆破し乗員を殺傷し或いは其の要部に損傷を与えるものの必要を認め昭和十年八月部案として審査を開始す 昭和十二年七月陸機密第九二号陸軍技術本部研究方針に審査項目として決定せらる

二.審査の経過

(一)昭和十年八月習志野演習場に於いてMK磁石及び黄色薬を結合し緩燃導火索に依り点火するもの(第一次試製品)に付試験せる結果構造、機能概ね良好なるも投擲の場合吸着尚充分ならざるを認

(二)昭和十一年六月前項試製品より少々大型のもの(第二次試製品)に付部内に於いて試験の結果吸着力を尚向上する要を認め同年八月MK磁石を廃し更に強力なるOP磁石の使用に付研究す

(三)昭和十二年六月従来の試験成績に鑑み投擲吸着を可能ならしむる為陸軍造兵廠東京研究所に軟薬爆薬の研究を委託す

(四)昭和十四年九月前項の軟薬とOP磁石とを結合したるものに付部内に於いて投擲試験を実施し吸着良好なることを認めたるを以て同月八柱演習場に於いて特殊鋼板(厚さ二十粍)に付爆破薬療を概定す又内部に於いて軟爆薬の低温試験を実施せる結果零下概ね十五度にて吸着支障を来す程度の凍結をなすことを認めたるを以て之が改良を陸軍造兵廠東京研究所の委託す

(五)昭和十二年十月富津射場に於いてOP磁石、軟爆薬及び特殊信管を結合せる第三次試製品に付特殊鋼板(厚さ二十粍)に対する威力竝に各部の構造、機能を試験せる結果薬療尚不充分にして書記の爆砕威力を発揮せず信管亦秒数に不揃いあることを認

(六)昭和十三年二月八柱演習場に於いて前項の改修を経たる第四次試製品に付爆破試験を実施せる結果爆砕威力の発揮上磁石の位置を爆薬本体外に変更する必要を認亦信管延期秒数不揃いは改善せられたるも尚点火機能の確実性に関し改善を認

(七)昭和十三年四月軟爆薬と併行研究の目的を以て予て陸軍造兵廠東京研究所の試製を委託中の粒淡黄薬完成せしを以て富津射場に於いて試験せしも其の威力少なく実用に供し得ざるものと認

(八)昭和十三年六月軟爆薬の耐寒性付与の研究完成せしを以て部内に於いて試験せる結果零下概ね四十度迄は使用に支障なきことを確認せり但し本改修により爆薬を収容すべき嚢に防油性を付与すべき必要を認め之が研究に着手す

(九)昭和十三年防油能力を付与せる嚢完成せしを以て部内に於いて試験せる結果其の成績概ね良好なるも耐寒性充分ならず極寒の使用には尚改良の要あるを認めたるを以て更に研究を続行す 但し本研究は技術上急速に運び難きものありしが故に別途に分割淡黄薬の使用に付き研究を行う

(十)昭和十三年十二月八柱演習場に於いて特殊鋼板(厚さ二十粍)に就き分割淡黄薬の試験を実施せる結果充分なる威力を発揮することを認めしを以て同鋼板爆砕に要する薬量を決定す 又同月前項の薬療に基づき新たに試製せる破甲爆雷(第四次試製品)を以て内部に於いて投擲試験を実施せる結果戦車の屋蓋に投擲せば運動中の戦車に対しても十分吸着せしめ得ることを認仍って従来に軟爆薬使用の研究を中止す

(十一)昭和十四年一月海拉爾付近に於いて零下四十度の場合に於ける信管の機能を試験せる結果延期秒数は整齊なるも火導薬に一部改修の要を認

(十二)昭和十四年三月全校の改修信管に就き部内に於いて試験せる結果成績良好なることを認

(十三)昭和十四年四月伊良瑚射場に於いて第五次製品を以て實戦車の爆破試験を実施せる結果「チハ」車級中戦車以下の装甲(最大厚さ二五粍)を完全に爆砕し得るを認め概ねは甲爆雷一箇に依り戦車に致命的損傷を与え得るとの判決を得たり

(十四)昭和十四年七月歩、騎、工兵各学校に実用試験を委託せる結果実用勝ち充分なるものと認るの判決を得たるも若干の修正意見あり

(十五)昭和十四年十月前記各実施学校の意見に基づき信管の延期時間其の他部分的改修を実施せるものを北満特別演習に於いて試験し良好なる成績を得たり 以上に依り本破甲爆雷は対戦車攻撃兵器として実用価値優秀なるを以て正式として制定然るべきものと認め昭和十五年一月審査を終了す

仕様

  • 直径: 128mm
  • 全高: 38mm(一部に37㎜の記載在り)
  • 全重: 1,300g
  • 炸薬量: 熔製一号淡黄薬630g(TNTとRDXを使用)
  • 信管長: 13cm
  • 作動秒時: 10秒

脚注

  1. ^ US Army Field Manual FM 5-31

外部リンク

出典

関連項目