丸墓山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
丸墓山古墳

墳丘(手前に石田堤)
所属 埼玉古墳群
所在地 埼玉県行田市埼玉
位置 北緯36度7分45.51秒 東経139度28分42.62秒 / 北緯36.1293083度 東経139.4785056度 / 36.1293083; 139.4785056
形状 円墳
規模 直径105m、高さ17.2m
(円墳では全国2位)
出土品 円筒埴輪、人物埴輪
築造時期 6世紀前半
史跡 国の特別史跡「埼玉古墳群」に包含
テンプレートを表示
墳頂の全天球画像
360°インタラクティブパノラマで見る

丸墓山古墳(まるはかやまこふん)は、埼玉県行田市埼玉にある古墳。形状は円墳埼玉古墳群を構成する古墳の1つ。国の特別史跡に指定されている(特別史跡「埼玉古墳群」のうち)。

日本最大規模の円墳であり、また埼玉古墳群の大型古墳で登ることができるのは、稲荷山古墳と丸墓山古墳のみである。

概要[編集]

直径105.0メートル、高さ17.2メートル[1]

遺骸を納めた石室など埋葬施設の主体部は未調査だが、墳丘表面を覆っていた葺石や、円筒埴輪、人物埴輪などの埴輪類が出土しており、これらの出土遺物の型式から築造年代は6世紀の前半と考えられている。

1985年(昭和60年)から1987年(昭和62年)にかけ墳頂部と墳丘東側を中心に整備が行われた。また、周濠の一部が復元されている。

歴史[編集]

1590年天正18年)、小田原征伐に際して、忍城攻略の命を受けた石田三成が丸墓山古墳の頂上に陣を張った。三成は忍城を水攻めするため、丸墓山を含む半円形の石田堤を28 kmほど築いた。丸墓山から南にまっすぐ伸びている道路は、この堤の名残である。

新編武蔵風土記稿』に麿墓山(まろはかやま)として記載がある[注釈 1]ほか、様々な書物に多くの伝説を残している。

風景[編集]

丸墓山古墳とその周辺は桜の名所として親しまれている。60年ほど前に地元の有志が植えた墳頂の桜の巨木は、2018年10月の台風24号の強風で五本ある内の一本が倒れ[3]、史跡保存の観点から後継樹の植樹は行なわれない方針である[4]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 出典不明。『新編武蔵風土記稿』埼玉村には、「丸墓山」で記述がある[2]

出典[編集]

  1. ^ 埼玉古墳群 - さきたま史跡の博物館
  2. ^ 新編武蔵風土記稿 埼玉村.
  3. ^ 坂井俊彦 (2018年10月19日). “埼玉)墳頂の桜、台風で倒木 行田・丸墓山古墳”. 朝日新聞DIGITAL (朝日新聞社). https://www.asahi.com/articles/ASLBK3TBZLBKUTNB003.html 2019年5月6日閲覧。 
  4. ^ 丸墓山の桜が1本倒れました。”. 行田市民大学同窓会 (2018年11月6日). 2019年5月6日閲覧。
  5. ^ 丸墓山古墳の周辺 - 有限会社フカダソフト(きまぐれ旅写真館).2019年12月3日閲覧。

参考文献[編集]

  • 「埼玉村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ216埼玉郡ノ18、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764009/94 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]